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2008-12-20 16:48:15

「してあげたい病」

テーマ:PTA
PTA改革派の中には、形式的・儀式的なものは縮小し、「子ども達のため」という目的に徹すればPTAは再生すると考える向きもあるようだ。
しかし、私の連れ合いもそうなのだが、「いろいろなことをしてあげる」ということに対して否定的な保護者もいることを分かってほしいと思うのだ。
そのような観点から、ちょっと「辛らつ」な意見も紹介したい。「校長先生、ちょっと」というブログに出ている。ブログ主は、関西の方の現役の校長先生。
題して、「今の世の中に蔓延する『してあげたい病』」(http://blog.goo.ne.jp/belbetring/e/b37c1a3104cc6e85557eb7c4fbcaeca1 )

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子どもの数は減り、老人が増える。増えた老人は生き甲斐を求めるのか流行なのか、様々な地域活動を通じて子どもとかかわろうとする。その結果、子どもは祭りやイベントで30分で忘れてしまうようなおもちゃを数限りなく手に入れ、飽食の時代を象徴するがごとく食べ物を手に入れる。
若い親は、子どもに何かをしてあげていないと不憫だと感じる回路が敏感で常に何かをしてあげないと気がすまなくなる。時には、教師にもそういったひとを求めてくる。
(中略)
子どもには本来子どもだけの世界があったはずである。本当の子どもには「トトロ」が見えたのである。
しかし、増えすぎた老人が地域活動と称して子どもにかかわり過ぎ、過保護の親がまたまた子どもにかかわりすぎて、本来の子どもらしさや子どもの仲間作りを阻害したのである。
*****

私自身、この校長先生の考えに全面的に賛同するわけではない。まったく賛同できない人もいるだろう。
ただ、これだけは言えると思う。この校長先生のような考え方は一つのスタンスとして認められるべきだ、ということ。

「子ども達のために何かをしてあげる」というスローガンも、全員参加型のPTAを正当化する旗印にはなり得ないのである。






1 ■無題
少子化で子供の存在自体が地域でも身内でも
貴重になっているのでしょうか?

「してあげたい病」・・・、う~ん、言い得て妙です。
的を得た表現だなあ。
ボランティア精神の歴史が浅い、習慣が乏しい日本・・・。
損得勘定なしに、または見返りを求める事無く
「~してあげる」という気持ち抜きで、人を支えると言う考えが根付いてないせいなのかな?などと考えたりします。

子供自体は昔から変わっていない、もともとは変わりようが無いんだけど、育っていく環境で変わってしまうのかな?大人が何かをしてあげようと世話を焼きすぎ、その機会を設けすぎると、子供達もその環境に慣れてしまうのではないだろうか?その環境が習慣になり、果ては地域の人や保護者や学校を総出で巻き込んで義務化してしまう可能性が生まれると怖いな・・・。
本来というか、子供達に大人が何かを「してあげ」なくても、子供達だけで何かする事を見つけて遊べる筈ですよね・・・?
どんな事もほどほどでいいと思うんだけどな。
子供と接する行事があるならそれでいい。
ただ必要以上に「子供のため」というお題目の下、内容を増やしたり人手を強制したりしなければ・・・。

2 ■激しく同意+「日本語」の特殊性
flowerさん
こんばんは。
もう、まるまるっと激しく同意です。

以下、我田引水な話ですが・・
「~てあげる」という表現は、欧米語はもとより中国語などにも対応するものがない、珍しい表現と言っていいようです。
私は、日本のPTAの問題は、日本の文化、日本人の国民性と深く結びついているのではないかと思っています。
そして、日本の文化や日本人の国民性の<特殊な姿>を映し出しているのが、「~てあげる」もそうですが、日本語に特徴的なもろもろの「表現」だと考えています。

遠回りかもしれませんが、PTA問題を考える上でも、日本語について整理する事は意味のあることだと思っています。
近々、ぼちぼちとではありますが、日本語についてもエントリーしていきたいと思っています。

Flower様、皆様
その節はよろしくお願いいたしますm(__)m。
3 ■無題
おはようございます。

ちょっとPTA論議からは話がそれてしまうかもしれませんが、お許し下さい。
PTA問題を抱える地域は、その自治会、子供会、PTA以外の学校外の親による活動組織にも、同じ様な問題を抱えていると言う傾向はないのかな?うちの地域、PTAのみならず、「子供のため」「子供にしてあげたい病」が、子供会や学校外組織にも蔓延しています・・・。これも頭が痛い。
しなくてもいい事を「してあげる」「全ては子供の為」と唱えつつ、主張しつつ、信じつつ、張り切り強制する役員達。よ~く活動内容を見ると、どうでも良い事、てんこ盛り。低学年には親が「どこにでも」「必ず」付き添わないといけない行事なんていらないよ。上級生がいるのになあ。子供達の行事の下準備もその殆どを役員や親が「してあげる」、そうじゃないと「子供達だけでは出来ない。無理」って・・・。無理ならやめなさい。意味が無いよ。子供が準備できない行事なら、子供会の意味が無い。出来る所まで準備をさせる、ってある程度は必要だと思うんだけど。イベントの際の物を作るのに、その殆どを役員が完成させて、ちょっとした仕上げだけ子供にさせるなんて。その間、役員の子供は放ったらかしなんだろうなあ。
4 ■よくは分からないけど…
専業主婦(主夫)や在宅主婦(主夫)の人が多い地域って、
PTA問題も深刻なのかな…??

時間の融通が利くだけに頑張り過ぎてしまう…みたいな。

5 ■無題
おはようございます。

どうなんだろう?昔のように子供が多かった時代と違い、今は共働き、自宅介護など様々な事情で「本当に時間に余裕がある主婦」というのはなかなかいないんじゃないだろうかと感じて日々過ごしています。人が少ない=学校だけでなく地域の役員が回ってくる確率も多い。働いている人も仕事を休んで、早退してまで出席を強要される行事も少なくない。充実した内容、助け合いの精神の元に存続している制度なら自治会であろうとPTAだろうとどんな行事も参加の意義があると思うし、意欲もわくかも・・・。だけど現状としてやたら無意味な無理なものが多く、こんな状況ではたとえ「時間に余裕があっても」したくはないなあ。だけど古くからの慣習を重んじる地域ほど、無駄だと思っていても我慢するような気が・・・。これは時間がある、無しの問題ではなく、幅広い意味での意識の問題かもと感じています。