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2011-05-21 19:22:57

「だから」の情意表出的用法成立の背景(その5) 論理なき帰結を語る「~のだ」

テーマ:「だから」の情意表出的用法成立の背景
前回は、文末辞「~わけだ」にも、「だから」の情意表出的用法と同様な「論理の構築を欠いての権利としての受け入れ要請」を表す用法があることを見た。
今回は、同様の用法が「~のだ」にも認められることを見てみたい。
(前回予告した「やはり」については次のエントリで。)


<「のだ」の関係構成的用法>
「~のだ」にも、次のように、いっぽうで命題間の関係構成にかかわる用法がある。

(1)道路が渋滞している。きっとこの先で工事をしているのだ。
(当該命題が先行命題の「理由」になっている。)

(2)防災設備さえ完備していればこのようなことにならなかった。つまりこの災害は天災ではなく人災だったのだ。
(当該命題が先行命題の「言いかえ」になっている。)

(3)産業廃棄物の不法投棄が後をたたない。そのために我々の生活が脅かされているのだ。
(当該命題が先行命題からの「帰結」を表す。)
※ここでの例文と分類は『日本語文型辞典』(くろしお出版)による。

先行命題と当該命題の関係を表面的に整理すれば上のように一応分けられようが、要するに、先行命題が意味することを解説・説明する、というのが「~のだ」の意味と言っていい。
注1:このように理解するにあたっては、山口(1975)、寺村(1984)、名嶋(2007)を参照している。

一見すると、「理由」を表している(1)と「換言」、「帰結」を表す(2)(3)とは逆向きの意味を表しているように見えるが、いずれも、次のように、「~トイウコトハ、~トイウコトダ」という言い換え(山口(1975))が可能なことに注目したい。

(1')道路が渋滞しているトイウコトハ、この先で工事をしているトイウコトダ。

(2')防災設備さえ完備していればこのようなことにならなかったトイウコトハ、この災害は天災ではなく人災だったトイウコトダ。

(3')産業廃棄物の不法投棄が後をたたないトイウコトハ、我々の生活が脅かされているトイウコトダ。

「~のだ」表現における先行命題と当該命題の間に認められる関係性は、寺村(1984)や益岡(1991)の指摘するように「~わけだ」と比べ弱くはある(すなわち、「~のだ」における当該命題は「~わけだ」とは違い先行命題からの「当然の帰結」を表すわけではない)。しかしながら、上に示した「~トイウコトハ、~トイウコトダ」への書き換え例に見られるように、「~のだ」における当該命題と先行命題の間には、「意味するもの」(先行命題)と「意味されるもの」(当該命題)の関係が認められる。そこには、先行命題から当該命題が導き出されるという論理性・対象性が存在していると言える。


<「のだ」の情意表出的用法>
いっぽうで、「~のだ」には、先に見た「だから」や「~わけだ」と同様、次のような先行命題の消失した用法も存在する。

(4)そのバミューダ海域というのには、あるんですよ、何かがある。その何かとは一体何であるか。まあそら、UFOがよく出没しておるということもあるけども、それだけでもないんだな。もうひとつはね。まあこういうことは、にわかには、あなた方は信じがたいのではないかと思うけれども、海底基地があるんですよ。ちゃーんと。
(大川隆法『高橋信次のUFOと宇宙』(田野村(1990))より)
※この「~のだ」の用法は、前エントリ中の例文(3)にもいくつか現れている。

田野村(1990)は、この種の「~のだ」は、「今自分が述べていることはすでに定まった真実であって疑いの余地がないということを、聞き手に印象付けようとする」(p.41)意図から用いられるものであるとする。この例のように、先行命題がなくいきなり「~のだ」が用いられる場合は、「解説・説明意識」の突出と言える。

田野村の用語を借りて言えば、上のような「~のだ」の用いられ方は、(「のだ」の基本的な性質として認められる)「承前性」が消失ないしは希薄化し、「披瀝性」、「既定性」が前景化したものと位置付けられよう。
注2:なお、「~のだ」表現に認められる「披歴性」、「既定性」は、吉田茂晃(2000)等が指摘する「「の」による叙述内容の体言化」の結果でもあると思われる。

以上、「~のだ」にも「論理なき帰結」を語る用法が認められることを見た。


文献
田野村忠温(1990)『現代日本語の文法<1> 「のだ」の意味と用法』(和泉書院)
寺村秀雄(1984)『日本語のシンタクスと意味Ⅱ』(くろしお出版)
名嶋義直(2007)『ノダの意味・機能 関連性理論の観点から』(くろしお出版)
益岡隆志(1991)『モダリティの文法』(くろしお出版)
山口佳也(1975)「『のだ』の文について」『国文学研究』第56号
吉田茂晃(2000)「<ノダ>の表現内容と語性について -<ノダ>は「説明の助動詞」か」『山邊道』 第44号





1 ■根拠なき断定
バミューダ海域の例文は、根拠なき断定だらけで、例文としてわかりやすいですね。
読む方はしんどいのですが(笑)
その昔、夫が、表紙のイラストだけで判断して、地底王国に関するオカルト本を買ってきたことがありました。「だから」は使っていませんでしたが、初めの一文が奮っていました。
「人は、何故、地底を目指すのか?」
・・・だから、誰も地底は目指してないって(笑)

2 ■Re:根拠なき断定
>猫紫紺さん
ちょっと内容的に極端な例をあげてしまったかもしれませんが、「読む方はしんどい」とのコメント、「根拠なき断定」、押し付けを許さない御スタンスを感じました。

もっとも、「~のだ」は、会話では、「~んだ」「~の」となり、非常にしばしば用いられます。
私なども、家族につい「○○××なんだよ!」と発し、突っ込まれています(汗)。

今回、提示した四つの情意表出的用法の中でも特に「ふつう」に使われているのが、この「~のだ」(とそのバリエーション)だと思います。
その意味では、この国においては、根拠なき断定、押し付けが満ちあふれていると言うこともできそうです。

森有正は、英語などでは、だれが相手でも、A is Bという言い方一つで済むが、日本語では、相手に応じて、少なくとも、三つの表現を使い分けなくてはいけない(AはBだ/AはBです/AはBでございます)と述べていますが、実は、日本語では、ここにさらに「~のだ」が掛け合わされるのですよね。

「AはBなのだ/AはBなのです/AはBなのでございます」

さらにさらに、ここに「ね」「よ」「よね」「さ」「ぜ」「わ」等の終助詞が組み合わされる。
(すぐ↑でも、「のですよね」と言ってますね(笑))

う~ん、やっぱり日本語って奥が深い、というか、魑魅魍魎というか。ハハ…

3 ■パパだから、パパなのだ
こちらでは、ご無沙汰しておりましたm(__)m
赤塚不二男さんの、これでいいノダ!という言い切りが、最初すごく新鮮だったので、ノダという語尾を聞くと直ぐに、そちらに連想が行きます。
ノダが似合わないキャラに、ノダ!と言い切らせているのが面白いところなのかなぁと、ふと思いました。

明後日、関西方面にいらっしゃるのですね!?
上手く行くように、願っております!まるおさんなら、絶対大丈夫と思いますけれど
(*^^)v

4 ■Re:パパだから、パパなのだ
>とまてさん
励ましのコメント、ありがとうございます!

おかげ様で無事、発表を終えることができ、ホッとしております。

バカボンのパパのノダは、私もとても印象に残っています。
昨日宿からノダをめぐり少しお返事書いたのですが、アップできず消えてしまいました…。
明日にでもアップしたいと思います。

5 ■Re:パパだから、パパなのだ
>とまてさん
なんか途中でコメントを終わらせたので、もったいをつけるような形になってしまいましたが…。
たいした中身があるわけではないんです(汗)

で、まあ、書かせていただきますと…
バカボンのパパについての御コメントを読ませていただいて思いついたのは、

「Aだ。」

と言うのと、

「Aなのだ。」

と言うのでは、同じ「言い切り」でも、言う方も言われる方も心の持ちようが違ってくるな、ということでした。

「Aなのだ。」になると、言う方も言われる方も、その発言内容に対する反省・批判の意識が(相対的にではありますが)どこかへ行ってしまうところが興味深いなあ、と。

と言うことを、発表の前日、三宮の宿にて二度書き込もうとしたのでした…。


きのうはさすがに疲れが出て、ぐったりとしておりましたが、今日は少し元気が出てまいりまして、また、頑張るべと思っています。
今回発表したことをぜひ論文にまとめたいですし、それから、7月の冒頭に、日本語とPTAとを絡めて、「日本世間学会」で研究発表する予定です。

日本語学会では、発表25分、質疑応答15分でしたが、日本世間学会では、発表50分、質疑応答40分で、日本語とPTAについてかなり突っ込んだ話しと話し合いが出来るなと期待しています。
また、いろいろとお知恵をお貸しくださいませ。