<187> #10

2011-08-25 22:51:57

日本社会の水準とPTAがらみのいじめ

テーマ:PTA
「お前の親は文句ばかり言い、なぜボランティアに協力しないのか。」

このようなことばが小学生の口から発せられることを想像できるだろうか?

もちろん、小学生が自分の頭で考えたというよりも、親から聞かされて、あるいは親の話を聞きつけてのことだと思われる。

↑の小学生の発言は問題だらけである。
ひとつは、PTAの不当なあり方に対する正当な批判を「文句」と位置づけてしまっていること。
もうひとつは、「ボランティア」の意味を理解していないこと。

しかし、その認識不足は、親の認識不足の反映にすぎないないだろう。
そして、その「親の認識不足」は、社会人として「下の下の人間」の認識というよりも、日本社会の「本音」をある意味『正しく』反映していると言うべきだと考える。


今日は、日本社会の「本音」につき、教育委員会や文部科学省関係者の発言から考えてみたい。


<教委・文科省関係者のPTAへの加入のあり方をめぐる発言>
まず、前エントリで取り上げた横浜市教委の発言を思い出していただきたい。

***
PTA費は学校運営の中で児童全体にかかる事柄に使われ、児童個別ごとに分けることが難しいものであり、原則PTAの加入は任意ではありますが、全員加入をお願いしているところです。
(「市民の声」への回答 教育委員会事務局北部学校教育事務所指導主事室 2011年4月4日)
***

教育委員会がPTAへの加入を「保護者の務め」と事実上位置づけてしまっている。


***
任意加入であるということは、正しいひとつの情報として伝えることは大切。誤解をしないでいただきたいのは、任意加入であっても全員で活動するとても重要な団体であるということには変わりない。
(横浜市教委生涯学習文化財課S氏)
「横浜市PTA連絡協議会理事会報告(H22第2回)」より
***

文科省が何を言おうと、法律に照らしてどうであろうと、「全員参加」が大前提なのだといった認識が示されている・・。


もうひとつ教委の問題発言として皆さんに是非お考えいただきたいのは、栃木県教委の↓の発言。

***
PTAは、会の趣旨に賛同した人が入会する民主的任意団体です(任意加入方式)。しかし、子供の幸福を願わない親や教師はいないので、大部分のPTAは加入率が100%になっています。それだけに、PTAを正しく理解し、会員意識を高める工夫が大切となります。
栃木県教委『あすのPTAのためのハンドブック』第3章PTAの特質より
***

この『あすのPTAのためのハンドブック』は全体的にはよく調べられ、まとまってもいるだけに非常に残念だ。
これでは、

PTAに加入しない親=子供の幸福を願わない親

ということになってしまう・・。
ちなみに、↑に引用した発言は、PTAが「民主的任意団体」であることを解説した項の全文である。


法と人権(個人の自由)をないがしろにする形で、全員参加を大前提とする議論は文部科学省関係者からも示されている。
(社)日本PTA全国協議会のHPの中にある、『日本PTA50年のあゆみ』「第五章 新しい運動の発展を目指して」の中に、「保護者全員の参加で」という項目があるのだが、↓のようなことが述べられている。
(執筆者は元文部官僚、現政策研究大学院大学学長特任補佐の今野雅裕氏。専門分野は生涯学習・教育政策・文化政策とのこと。)

***
(「有志でやるべきだ」という議論に対して)
現実に父母の全員参加という組織編成がほぼ完全に定着している現在においては、その議論は現実的とは いえない。
その場合、現実には、おそらくPTA自体の衰退につながることが予測される。
むしろ、参加形態よりも、参加後のPTA会員の意識の深まりのなさ、活動の不十分さの方を問題にすべきであろう。

(http://www.nippon-pta.or.jp/ayumi/ayumi_5_2_1.html)
***

問題にされるべきは、強制的な参加体制のほうではなく、保護者の意識の低さ、活動の不十分さのほうであるとされている。


<社会の水準を踏まえて…>
以上のように、教委レベル・文科省レベルにおいても、「民主」ということも、「任意」ということも十分に理解されていないのではと言わざるをえない。

変化の兆しはあるとは言え、こういった水準に日本の「社会」はあるということだ。

このことを我々は対象化・意識化し、乗り越えていく必要がある。
と同時に、保護者としては、残念ながら、日本社会の実態がそのタテマエに反しいまだにこのような水準にあることを認識し、慎重に対処していく必要もあるだろう。


そうでないと、自分自身や子どもがいじめの標的になる恐れがないとはいえない。
「意識の低い・子どもの幸せを願わぬ・学校教育に非協力的な」親、あるいはその子として、指弾されるということがないとはいえない…。
極めて残念かつ不当なことではあるのだが。

この点、私も含めたオヤジは、いじめの対象になりにくいという点で非常に恵まれていると思う・・。


<法と人権をないがしろにする教委・文科省のスタンスの背景>
ところで、教委・文科省関係者等はなぜこのように法も個人の自由も踏みつけにして平気なのか?
公務員として、憲法や法令にもっとも敏感であるはずなのに。
その背景には、「心を一つに」の『規範』が存在するように思う。
**
「心を一つに」の『規範』
:とにもかくにも心を一つにして何かに取り組むことは素晴らしいとする価値観
**


PTAに保護者全員が加入し、皆で力を合わせて子どもを支える

このような体制が、たとえ憲法や法令に照らして無理があってもまかり通ってしまうのは、「心を一つに」の『規範』が社会に厳として存在すればこそではないのか。

「心を一つに」の『規範』にもそれはそれなりのプラスがあることは認める。しかし、それはそもそもが全体主義的な考え方であり、日本を破滅の淵にまで追い詰めた戦前の全体主義体制に容易につながりうることに注意したいと思う。


(おわりに)
私の身に余るというか、とても難しい問題だと思います・・。
引き続き、自分自身の問題としても考えていきたいと思います。


追記
お時間のある方は、過去記事<文科省との対話(3)報告篇②(2009.9.12)>もお読みいただければと思います。

追記2(2013.06.08)
本エントリ中で問題にしている今野氏の「全員参加」肯定論に対して、「無理目か~さん日記」のコメント欄で辛口だが説得力ある批判がなされている。

http://bkk858.blog.fc2.com/blog-entry-134.html#comment483





1 ■ボランティア
まるおさん

ボランティアの認識が日本文化は未熟なのでしょうね。以前、バリアフリーの講義で(バリアフリーと言うたとえ事態 差別 かもしれない)と聞いた事があります。日本は、土地もせまく、この不景気で世間的に余裕が無いのでしょう。

1.旧 懐かしい公共は→ほんの少し(義理・人情)
2.新 懐かしい公共は→露骨な(損・得)

のように感じるのです。
ただし、この義理・人情は同調圧力だったのでしょうから、民主主義の為にすたれた旧懐かしい公共を、現代人に復活はもはや難しいでしょう。

古い人が新しい公共を考えるいじょう、懐かしい公共になってしまうのでしょうか。官僚は日本文化を継承したいのかもしれませんね。

小学生の言葉の根底に、この
損か得か が漂っている気がします。

海外の公共空間と日本の公共空間を比較すると その予算配分とデザイン性に露骨さを感じる時があります。人間としての尊厳は、日本の場合 背景に文化だったり宗教だったり地域制だったりが色濃く残るのでしょう。

来週、子供は腹痛の検査が重なります。
どう家庭と仕事と両立できるか、先日のリストを持参して、子供の様子と並行し教育委員会には談判に行きます。

回答は、追ってご報告します。
2 ■Re:ボランティア
>OTさん
「ボランティア」と「勤労奉仕」の区別がきちんとつけられていないのが問題だと思います。

「義務としてのボランティア」の問題については、ずいぶん以前のカワバタさんのコメントが参考になりました。
↓のブログ『リヴァイアサン、日々のわざ』エントリ中の、2006.10.08 06:42のご本人のコメントです。
http://ttchopper.blog.ocn.ne.jp/leviathan/2006/10/post_f805.html#more


お子様の体調のご回復と教委とのお話がうまくいくこと、お祈りしております。
(ところで、取材の件はその後どうなりましたか? 差し支えのない範囲で。)
3 ■取材の件
私がまだ教育委員会に談判していないので
その報告後になるでしょう。

しかし、実際の取材は先方がお決めに
なる事です。

ご連絡があれば、
他の児童生徒・風評被害を考慮して下さった
上で、ご回答させて頂きます。

現状、入退会自由でも 実費清算と関係なく
(PTAに入らない子供・ボランティアをしない親)
は出られない行事がある事、皆さんがご理解
した上で、(退会)を選ばなければ
子供の人間関係にも影響します。

まるおさんの書かれている通り
(お前の親はボランティアをしない)
レッテルを貼られますから。

※実際のボランティア活動に関しては
私ができる範囲でですが、求めに応じて
専門的な奉仕はさせて頂いています。

ボランティアは難しいと思いますよ。
人が集まる以上
ある種の組織運営は必要です。

東北の震災でも、ボランティア問題はあったと
思います。たとえボランティアが必要でも

純粋に、ボランティア行為を
相手が望むかは別です。

私は、いわゆる定石どおりの専門的な
奉仕はしますが 法律よりローカル・ルールが
優先されるのと同じで

先方が 
使いやすい・機能的な環境を望んでいない

またその伝達も曖昧なので、あまり意味が
無いと思います。
 
リーダーによって目的が違う
という事の証明になってしまう事にも
なり兼ねないですから。

相手を追い詰めない為にも
ゆるゆるで奉仕し帰宅しています。

言われた事だけ最低限でやってます。

幸いにも、今年は(奉仕目的でなく学校や周囲との積極的なコミュニケーション目的)の方が 数名いらっしゃいますので、そちらにお任せしています。

希望が持てる環境があり 求めに応じて、他所の多くの子供達に充実した成果を残すほうが先決ですし、自分の子供の事もありますから。

里山さんの言われるとおり
適当のさじ加減を勉強中です。
4 ■了解です
>OTさん
了解です。

OTさんも含め、PTAに背を向けた人にはボランティアマインド豊かな人が多いと思います。
それにつけて考えるに、PTAって、本来のボランティアとは全く異質のものになってしまっていますね。
5 ■自己選択・自己決定・自己責任

いろいろな選択肢の中から、
自分で判断し、結果には責任を持つ。

PTA問題は、
「 自己選択・自己決定・自己責任 」で
対応するしかないのかもしれません。


(日本人はこうやって自立していくのかな…?)
6 ■間違わないで欲しい
まるおさん>

(一応、了)
「お前の親は文句ばかり言い、なぜボランティアに協力しないのか。」

現状の、日本文化の認識水準において、この小学生の言葉が(正論)なのでしょうね。

さと山さん>
某国の亡命者の気分です^^圧政に耐えられず
自己責任で退会しましたから。

自己責任で選択したと言うより
現状の〆付けが強い環境で
その選択しかできませんでしたが。

親として失格 

のシールを周囲が貼りたかったのでしょう。
7 ■夜明け前が一番暗い。

今は時代の転換期です。

一人ひとりの規範意識も
少しずつ変化していくといいなぁ…と思います。

( 和の精神 → 個人の尊重 )
8 ■一つだけ言える事
PTAに関して一つだけ言える現状として

たぶん、この事実が検証としてあるのでしょう。

私が子供をもって体験したボランティアは

1,ポイント制度の強制ボランティア(PTA)
2,ポイントのつかない自由意志のボランティア

1に関しては(ズルイ)の声が多く聞かれました
2に関しては、(ズルイ)の声は聞きませんでしたが、エントリーして来ない人が殆どでした。
(桜)も多かったです。

約600名の家庭数として、実際に参加したのは多い時で19名・うち実質活動をしていたのは約2名だった事を考えると。

PTAの任意と入退会自由が(仮)に容認されれば
殆どの親が学校に対してボランティアをしない事の裏付けかもしれないです。

条件として(見返りがある場合を除いてです)以前、川端さんのツイッターや某掲示板で(利益)に関する議論がなされたと思います。

参考になりそうですので、是非 一つのデータとしてお考えください。
9 ■現実
※掲示板をお借りして申し訳ないのですが。
エデューでは消される可能性もありますから
マルチポストと思わず、どうか書き込ませて下さい。

退会者の被害を防ぐ為です。

子供の状況は深刻です、理由はプリント類を提出しない との事ですがPTAのものも多数あるので、 学校側がその辺の区別がまだできない状況なので 担任がPTA側から責められるそうです。

学校側の言い分は(すでにPTAがなければ学校経営ができない) という事らしいです。(この事に関しては、これから線引きの必要があるのでしょう)

プリント類に関しては、学校管理職との協議でPTA関連はすべて破棄の お約束をしてあります。PTAと学校側でその話し合いができて居ないのでしょう。

こういった事がすべて子供に跳ね返ります。

子供はこのような些細な事でも差別を感じている様子です。 退会される方は、このような事実も踏まえて学校側と話す必要があると思います。

10 ■「網羅的参加肯定論」批判に関して、追記しました
エントリ末尾の「追記2」をご覧いただければと思います。