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2011-03-06 11:20:29

「だから」の情意表出的用法成立の背景(その2) 違和感のありか 

テーマ:「だから」の情意表出的用法成立の背景
<判断・主張の特異な語られ方>
根拠の提示の有無をめぐり、判断・主張の語られ方のパターンを整理してみると、普通に予想されるのは次の三つのあり方だと思われる。

一つは、根拠を提示した上で結論を語る

A。だから、B。

といった表現の仕方だ。

二つ目がそこから接続詞が省かれ、根拠と結論がただ並べられる

A。 B。

という形。

そして三つ目が、結論だけを単刀直入に語る

B。

といった表現の仕方。

以上三つの判断・主張の語られ方は、どのような言語にも認められるおそらく普遍的なパターンだと思われる。


ところが、「だから」の情意表出的用法は、上のいずれのパターンにも当てはまらない。
情意表出的用法のあり方を図式的に示せば次のようになる。

だから、B。

つまり、根拠は提示されていない(つまり「A」の部分がない)のに『接続詞』付きで判断・主張が語られているわけである。


前エントリで述べたように、「だから」の情意表出的用法に相当する表現を持つ言語はとても珍しい。
根拠の提示を行っていないのに根拠を提示した時に用いる言葉を使って、自らの発言の受け入れを求める。この特異性により、多くの言語においては第四のパターンが存在しないのではないだろうか。


日本語には、実は、上に見た「判断・主張の特異な語られ方」(第四のパターン)に当てはまる表現が「だから」以外にもいくつか認められると考えている。
次エントリではそれらの表現を紹介していきたい。