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2009-11-27 17:44:44

人権教育のために学校関係者が取り組むべきこと(その2)

テーマ:PTA
前回に続き、「人権教育の指導方法等の在り方について[第三次とりまとめ]」を読みつつ、PTA問題における教委・校長・教職員の責任について整理してみたい。

(隠れたカリキュラム)
指導等の在り方篇 第Ⅰ章2「学校における人権教育」の末尾には、「ヒドゥンカリキュラム」とも呼ばれる「隠れたカリキュラム」について触れたコラムが置かれている。

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【参考】隠れたカリキュラム
 児童生徒の人権感覚の育成には、体系的に整備された正規の教育課程と並び、いわゆる「隠れたカリキュラム」が重要であるとの指摘がある。「隠れたカリキュラム」とは、教育する側が意図する、しないに関わらず、学校生活を営む中で、児童生徒自らが学びとっていく全ての事柄を指すものであり、学校・学級の「隠れたカリキュラム」を構成するのは、それらの場の在り方であり、雰囲気といったものである。
 例えば、「いじめ」を許さない態度を身に付けるためには、「いじめはよくない」という知的理解だけでは不十分である。実際に、「いじめ」を許さない雰囲気が浸透する学校・学級で生活することを通じて、児童生徒ははじめて「いじめ」を許さない人権感覚を身に付けることができるのである。だからこそ、教職員一体となっての組織づくり、場の雰囲気づくりが重要である。
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授業等の中でいくら人権の尊さを説いたところで、児童・生徒にとってもっとも身近な存在である親(特に母親)の人権が、学校の中でいともたやすく踏みにじられているとしたら、われわれ大人が意識する以上の「教育効果」をあげることになるのではないか。

「公的なルール(=法令)がどのようになっていようが、『みんな』が従う『現状(空気)』には黙って従うものであり、それに逆らうことは許されない。」

子ども達は、このような日本の「おきて」をしらずしらずに「学びとっていく」はずである。
留学生に「PTA」についてインタビューをしてみて、子どもって親の背中をびっくりするくらいに視ているのだなと改めて感じている。


(人権尊重の理念)
第Ⅰ章2「学校における人権教育」の(1)「学校における人権教育の目標」中には、「人権尊重の理念」について次のように説かれている。
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 人権尊重の理念は、平成11年の人権擁護推進審議会答申において、「自分の人権のみならず他人の人権についても正しく理解し、その権利の行使に伴う責任を自覚して、人権を相互に尊重し合うこと、すなわち、人権の共存の考えととらえる」べきものとされている。このことを踏まえて、人権尊重の理念について、特に学校教育において指導の充実が求められる人権感覚等の側面に焦点を当てて児童生徒にもわかりやすい言葉で表現するならば、[自分の大切さとともに他の人の大切さを認めること]であるということができる
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PTA活動に入れ込み、「全員参加で当然」というスタンスの人がいる。
こういう人に見られる「信念」の中には、

「自分もわけもわからず巻き込まれて結果として成長できたのだから、意思の確認は必要ない。意思の確認はその人の成長のチャンスをつむことにもなる!」

というものがある。
そのような「宗教的信念」もありうるのかもしれない。しかし、そのような価値観を他人に押し付けることは、人権擁護の精神に対する挑戦であろう。
個人としての選択の自由を奪っているのだから。

しかしそれにしても・・・、教育委員の中にここで問題にしたような「信念」を平気で公言し続けている人がいるのは・・・・。また、それを放置する教育長や市長や文部科学省は・・・・。
いずれ、当該市の教育長に問いただしてみたいと思っている。


(教育委員会がなすべきこと)
第Ⅱ章第3節「教育委員会及び学校における研修等の取組」の1「教育委員会における取組」中には、教育委員会の責務についての次のような言及がある。

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各教育委員会は、人権教育・啓発推進法第5条に定める地方公共団体の責務を受け、学校等における人権教育を充実させていく上での重要な役割を担うこととなる。
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人権教育・啓発推進法第5条は、以下の通り。
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(地方公共団体の責務)
第 5条 地方公共団体は、基本理念にのっとり、国との連携を図りつつ、その地域の実情を踏まえ、人権教育及び人権啓発に関する施策を策定し、及び実施する責務を有する。
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地方公共団体において教育行政の責任を負うのが教育委員会である。
その構成メンバーである教育委員の責任はどんなに強調してもしすぎることはないと思っている。

次回、「教職員のなすべきこと」に続きます。 





1 ■「 ヒドゥンカリキュラム 」
ここで言われている「 ヒドゥンカリキュラム 」とは
「 和の精神教育 」のことなのでは…?

人権感覚 = 和の精神(一体感)を尊重する感覚、
という意味になっているような気がするのですが…。

2 ■Re:「 ヒドゥンカリキュラム 」
>里山たぬ子さん
日本の学校教育の実態として、「和の精神教育」がなされていることは確かだと思います。

「ヒドゥンカリキュラム」という概念は、「明示的に教えられるものだけではなく、実態として子どもたちに吸収されるものにも目をしっかりと向けましょう!」という考え方に基づくものであり、評価したいと思います。

実態としてはともかくも、「在り方について」で述べられていることは、決して「人権感覚 = 和の精神(一体感)を尊重する感覚」とはなっていないと思いますよ。
「人権感覚」について述べられている部分も引用紹介しているので、もう一度見てみてください。