<156> #2

2010-10-24 19:43:34

自らの問題として

テーマ:つぶやき
ご無沙汰しております。
夏休み後半に出身研究室の研究会で「日本語の正しさ」をめぐり発表し、先週の週末には、出身大学の院生・修了生を中心とする研究会で、「日本語に認められる主体性・起因性の希薄さ」というテーマで発表し、新学期も始まりと、ここのところバタバタ続きでありました。
夏休みの前半には、例の東大でのPTAシンポジウムもありましたしね。
今年の夏は、もはや半世紀にならんとする私の人生の中で、もっとも充実していたかも(?)。
(以上、更新がずいぶん滞った言い訳でした^^;)

で、二つの研究会にエントリーすることで何とか自分の中から絞り出し、整理した「命題」を、さあ、これからブログでの文章や論文等にぼちぼちとまとめていくか♪と、思っていた矢先、ちょっと仕事の上でしんどい思いをしています。

PTAで凝縮された形で突き付けられた日本の問題性が、自身の仕事の上でも起こったと言いましょうか…。それも被害者的なだけではなく、加害者というか当事者としても。

森有正の言う、二項結合的な関係、二人称な関係、上下的・一体的(庇護と被庇護)な人間関係、丸山眞男の言う、「無責任の体系」、「抑圧の下方移譲」、「既成事実への隷従」といった日本的な問題性が、自分の足元で、自分も当事者として起こった。
いろいろとこれまでPTAや文科省や学校に対して突き付けてきた批判が自身の問題として感じられるようになったと言いましょうか。

子どもが中学の時にPTA内部で声をあげ、改革にも一定の成果を収められた時は、その前に家内がPTA問題で「不登校」になったり、またある教員による不祥事が当時起こり、PTAや校長先生などに対しても、かなり有利な立ち位置からものも申せたのですよね。

“うちのかあちゃんになにするんや”“この学校の教員管理はどうなっておるんですかっ!?”といったところが(も)、ありました^^;。

だから、今回、遅ればせながら、はじめて、実感として、ごく普通のポジションでPTA内部で声をあげ、変えていくことがどんなに大変なことなのかも、少しだけだけれど身に沁みて感じられた。
カワバタさんがよく言う「自らも削られ・相手も削ってしまう」ということの意味も実感として少し理解できたような。

詳しい話はするつもりはないのですが、少なくとも、問題性に気付けているだけましと、いつものことながら「前向き」(「能天気」と言うべきか)に考え、少しでも、そのような問題性を克服する方向でやれるだけのことはやってみたいと思っています。
(今のところは、それなりに解決への見通しも立ったような…。)

生意気を言うようですが、今回のような「体験」を「経験」(©森有正)に昇華させ、社会のあり方をほんの一ミリでも変え、なによりも「自分が変わる」ことこそが必要だと、いやに神妙になっております。





1 ■ご無沙汰しております
まるおさん、ご無沙汰しております。
いろいろご活躍していらっしゃいますね。
美しい日本語を操れると言うことは、やはり、財産だと思います。日本語は、感情や思いを表現するのに豊かな言葉だと思いますので。(勝手な思いこみかも知れませんが…(笑))

また、日本的なものと当事者として向き合われたとのこと、お疲れ様です。まるおさんのことですから、深くお考えになったことでしょう。
わたしは来年度、PTA本部役員になることが内定しました。ネット署名という批判を突きつけつつ、当事者にもなるという、葛藤をすることになると思います。
目指すところは共通していると感じております。これからもよろしくお願い致します(*^_^*)

2 ■Re:ご無沙汰しております
>猫紫紺さん
こちらこそ、ご無沙汰しております。
夏のPTAシンポからもう3か月ですね。
その節はお世話になりました。

ひとりごとのようなエントリーにもったいないコメントをいただき、たいへんに励まされました。
ありがとうございます。

おかげさまで、当面の問題は一段落いたしました。
御ブログでも拝見させていただいていますが、本部役員になられたこと、本当に頭が下がります。でも、くれぐれもご無理のなきように。

なおなお、「日本語の正しさ」をめぐる発表の件ですが、明らかに私の説明不足でしたが、むしろ「美しい日本語」という考え方を相対化・対象化しようと試みたものでした。
そのあたりのことも、またブログで触れられればと思っております。
関心を示していただけ、本当にうれしいです。

追記
「美しい日本語」という考え方を完全に否定しているわけではありません。
このへんも、自身の考えを整理整頓したいと思います。