<84> #2

2009-12-17 15:31:20

関係性の中の「わたし」 ①授受表現(その2)

テーマ:エビデンスとしての日本語
先に、英語の「GIVE」、中国語の「給(ゲイ)」に相当する表現は、日本語では、「わたし」が相手に与えるのか、相手が「わたし」に与えるのかによって、「あげる」と「くれる」に分かれることを見た。
これは、相手との関係性の中で、「わたし」がほどこしの「与え手」なのか、ほどこしの「受け手」なのかによる使い分けである。

相手との関係性による使い分けといえば、日本語には「上下・親疎」による使い分けもある(いわゆる待遇表現(敬語))。

つまり、「わたし」の立場が同じ「与え手」の場合でも、相手が目上か目下か同等か(上下)、友人か初対面の相手か等(親疎)によって、「やる」か「あげる」か「さしあげる」かの選択がなされる。
また、「わたし」の立場が同じ「受け手」の場合でも、同様に、相手との関係性によって、「くれる」か「くださる」かの選択がなされる。

英語等なら「GIVE」の一語で済まされるところが、日本語では、

「やる」・「あげる」・「さしあげる」
「くれる」・「くださる」

と5通りのバリエーションを持つわけである。
さらに、水谷(1985)に指摘されているような、「くれてやる」、「もらっていただく」のような表現も入れると、何と7通りということになる。レインボー作戦である(汗)。

授受動詞の残る一つ、「もらう」についても、与え手が「上」か「疎」なら、「いただく」となる。


日本語というと、「点的論理」を表わすのだとする外山滋比古氏説をはじめとし、その省略性(ばかり)が注目されがちであるが、こと「相手との関係性」に関わることには非常に「饒舌」な言語であると言うことができそうである。

以後しばらく、このような観点から、終助詞、敬語(今回でも少し触れることになった)、人称詞をとりあげていきたい。


補遺
「あげる」と「もらう」の使い分けは、これは主語に立つものの「立場」の違いである。
与え手が主語になれば「あげる」。受け手が主語になれば「もらう」になる。

佐藤さん → 鈴木さん
佐藤さんが鈴木さんに花束をあげた。
鈴木さん佐藤さんに花束をもらった。

主語に与え手と受け手のどちらが立つかによる使い分けは世界的に認められるもののはずだ。
日本語の特質は、「わたし」の立場が<文法>に絡んでくることであると言うことができる。


参照文献
外山滋比古(1973)『日本語の論理』中央公論社
水谷信子(1985)『日英比較 話しことばの文法』くろしお出版






1 ■「 レインボー作戦 」
レインボー作戦、ちょっとウケました…。


主語の省略など、

主体と客体を明示することを避ける。

その一方で、

あげる、くれる、もらう、といった恩恵表現は
これでもか、というぐらいに明示している。

ということですよね…?


2 ■Re:「 レインボー作戦 」
>里山たぬ子さん
亀レス、失礼しました。

日本語を理解するにはその凹的側面だけではなく、凸的側面も見ていく必要があると思います。

レインボー作戦は、その凸的側面の象徴として理解していただければと。
「レインボー作戦」に食いついていただき、ありがとう^_^;