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2014-11-06 22:16:20

日本世間学会 第32回研究大会で発表します

テーマ:エビデンスとしての日本語
明後日の土曜日に開催される、日本世間学会の第32回研究大会で、

「日本語から探る『私』の姿」

という題目で発表します。

学会に提出した、発表の概要は、以下の通りです。

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「~することになりました」、「~と思われます」、「~と考えられます」等の「自発」表現が存在し好まれる。スル表現「お~する」が自己の行為を卑下する謙譲語として用いられ、ナル表現「お~になる」が相手の行為を尊ぶ尊敬語として用いられる。このような日本語に特徴的な事実は、日本の社会においては「主体性」や「自己決定」がネガティブなものとしてあることを示す。

その一方で、日本語では、敬語、人称詞、授受表現、受身表現、「~てくる」等、「私」との関わりを表わす表現が、文の成立において非常に大きな位置を占めている。このことは、日本語の「自己中心性」を示すものとして注目される。

日本語において認められる、「主体性の弱さ」と「自己中心性の強さ」という、この一見、矛盾した性質の背景には、どのような日本人の「私」の姿が認められるのか。
本発表では、丸山真男、木村敏、森有正、西田幾多郎、河合隼雄、プラトン等における「私」のあり方をめぐる所説に学びつつ、考えてみたい。
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このようなテーマで考えてみようと思ったきっかけは、一昨年の秋開催の第28回日本世間学会の研究発表大会(加藤薫(2012)「世間と日本語に通底するもの -主体性と第三者的視点の欠如-」)にて、日本語に見て取れる「非主体的側面」と「自己中心性」に言及したところ、「言っていることが矛盾していないか? いったい、日本人には『私』があると言っているのか? ないと言っているのか?」という批判を受けたことです。
この批判にこたえつつ、日本における「私」のあり方について理解を深められればと思います。
このことは、PTA問題の解決にも資するものと考えています。


前エントリで宿題とした、「世間」のあり方とPTA問題との関連性については、「継続審議」としたいと思います…。


なお、一昨年の発表内容と質疑応答の様子は、過去のブログ記事で取り上げています。

・日本世間学会 第28回研究大会で発表して(1) 発表篇
2012-11-18


・日本世間学会 第28回研究大会で発表して(2) 質疑応答篇
2012-12-04








1 ■自他一如の感覚?
「主体性の弱さ」と「自己中心性の強さ」を合わせると自他一如性の感覚が考えられるのではないでしょうか。
たとえば1人称を2人称に代用する場合です。
(1)年上の女が幼い男の子に「あらあらボク、どうしてべそかいてるの?」と尋ねる。
(2)関西の人が「ジブン、なにゆうてんの」とたしなめる。
(3)関西の人が「しゃきっとせんかい、ワレ」とはげます。
(4)関東の人が「オノレ、許さん」とおこる。
(5)関東の人が「ふざけんじゃねえ、テメェ」とおどす。
(6)「オノレ」を「オンドレ」と言うと凄味が増す。
などです。
意識として、人間関係を、対等的にではなく、対立的または上下的または優劣的にとらえているような気配もうかがえます。