<117> #4

2010-04-03 17:33:53

関係性の中の「わたし」⑥ 敬語(その3) 日欧対照

テーマ:エビデンスとしての日本語
-<世界の敬語>
J.V.ネウストプニー氏は、「世界の敬語」を大きく三つのグループに分けている(「世界の敬語 ―敬語は日本語だけのものではない―」(林, 南編『敬語講座8 世界の敬語』明治書院、1974)。

ひとつは、日本語と同様に、登場人物に対する敬語(尊敬語・謙譲語) のみならず聞き手に対する敬語(丁寧語)もあるもの。
このグループに属するものとしては、日本語のほかには、韓国・朝鮮語とジャワの諸言語(マズラ語)が挙げられている。

もうひとつのタイプは、登場人物に対する敬語のみが存在し、丁寧語は存在せず「話し相手が問題にならない」タイプ。
その例として、ヒンディ語が挙げられている。
ヒンディ語には日本語の尊敬語に相当するものがある。謙譲語に相当するものは、「たずねる」に対する「おたずねする」に相当するものがあり、「きわめて少ないが、全然ないとはいえない」という。

第三のタイプは、敬語と言えるものが二人称代名詞と動詞の命令形にのみ認められるもの。英語をのぞく現代ヨーロッパの諸言語がここに入る。
(現代英語は二人称代名詞は一語のみ。)

動詞の命令形に認められる敬語とは、相手に命令・依頼するときに、条件法を使ったりして相手に対する配慮を表す表現を指す(前記事で英語の例を取り上げた)。

注:川本茂雄氏は、「条件法がなぜ鄭重な表現に適するか」について次のように述べている。
**
この形は物ごとをハッキリ断言せず、「あるいは…かもしれません」、「もしかすると…でしょう」と、断定を弱め、曖昧にするところから、そのような味がでてくるのである。
**
(「フランス語の敬語」『敬語講座8 世界の敬語』)


二人称代名詞による敬語とは、フランス語のtu(非敬称・親称)に対するvous(敬称)、ドイツ語のduに対するSie、ロシア語のtyに対するvyなどのこと。
ちなみに、敬称は、二人称または三人称の複数形の代名詞が転用されたもの。

なお、親称はラテン語のtu、敬称はvosに由来するので、欧語における二人称の使い分けの問題はその頭文字をとり、「T/V問題」と呼ばれる(ドイツ語のduは語頭の子音が濁音化したもの)。

英語もかつては、thouとyouの使い分けがあったが、現在はかつての敬称のyouに一本化されている。


<敬語をめぐる日・欧対照>
ネウストプニー氏は、現代ヨーロッパ大陸の敬語の特色として、次の二点を指摘している。

ひとつは、その範囲が狭いこと。
ヨーロッパの諸言語においては、二人称代名詞と命令・依頼文においては相手に応じての使い分けが存在するが、それだけであり、日本語などとは違って、「丁寧語も、謙譲語も、三人称の尊敬語もみられ」ない。

相手を指し示すときと、相手に何かを指示したり頼んだりするときにのみ相手との関係性が意識されるヨーロッパの諸言語に対して、いついかなる時にも相手との関係性を意識することなしにはことばが使えない日本語、という違いがあるわけである。


もうひとつは、「相互性」だ。

***
日本語、マズラ語、ヒンディ語の敬語は、多くの場合、非相互的non-reciprocal,asymmetricalであるのに対して、現代仏語、独語、チェコ語などの敬語は、相互的に使われている。つまり、日本語では、目上が目下を「きみ」とよぶことはできるが、目下が目上を通常「きみ」とはよべない。しかし、チェコ語では、一人の話し手がTを使ったら、原則としては、相手もTを使う。話し手がVを使ったら、相手もVを使わなければならない。なお、お互いにTを使うか、Vを使うかは、原則としては、その二人の親しさの程度による。
***
注:ここで「きみ」について言われていることは現在では「あなた」にもあてはまる。

もっとも、現代ヨーロッパ語にしても、非相互的な使い分けがまったくないわけではないようだ。

***
たとえば、小さい子供は大人からTと呼ばれ、自分の家族の人ではない場合、同じ大人をVと呼ぶ。この他に、権限が余りにもちがう軍隊そのほかの場合にも、少ない例ではあるが、非相互的な用法が見られる。
***

また、時代をさかのぼると、ヨーロッパ大陸の諸言語においても、「敬語の種類も多くなり、非相互的な使い方の例も多く出てくる。中世・近世のヨーロッパの敬語は、現代ヒンディ語と余り変わりない。(中略)なお、ヨーロッパのことばの敬語史を調べても、程度や使い方に差はあるが、目上と目下、夫と妻、などの非相互的な用法が普通である。」

TとVの使い分けの変化については、BrownとGilmanの指摘((1960)"The Pronouns of Power and Solidarity,"in T.Sebeok(ed),Style in Language.M.I.T. Press)として次のように述べられている。

***
ヨーロッパのT「おまえ・きみ」とV「あなた」の使いわけは、19世紀までは上下関係によったが、20世紀には次第にsolidarity(連帯関係)の意味がつよくなり、現在は、ほとんどの場合、Tは親しい人、Vは親しくない人に対して使われている。
***

川本茂雄氏も、パリ大学の学生が教授に対してtuを使っていると聞き、「戦前わたくし自身がパリ大学で聴講していた頃は、学生が教授に向かってtuやtoiなどという代名詞を使うなどとは、およそ考えられないことであった。」と述べている(「同上」)。

ちなみに、上のBrownとGilmanの指摘を踏まえて、社会言語学者の田中克彦氏は、

***
おそらく近代化をやりぬいたヨーロッパでは、対話の中での支配と従属の関係を廃絶して、連帯の関係へと、人間関係のあり方を、言語表現の中にも定着させたのである。(「敬語は日本語を世界から閉ざす (特集 敬語は何の役に立つか : 日本語の未来と敬語の存在)」『月刊言語』28巻11号、1999)
***
と述べている。

TとVの用法の変遷について、ネウストプニー氏は、「筆者自身の現代チェコの首都プラハの経験」として、「親に対してVを使う人はいないと思われる」と述べつつ、

***
筆者の父(ピルゼン市生まれ)はすでに親子の間でお互いにTを使っていたのに、西ボヘミアの小都市で生まれた母は、親をVと呼び、親からはTと呼ばれていた。
ユーゴの調査を行なったコシャーも、カナダのラムバートも指摘し、筆者の印象とも一致していることだが、家庭内の二人称代名詞の身分的な使いわけは、中産階級以下の出身か、あるいは地方出身を意味するのである。
***
と、過渡期の姿を語っている。






1 ■歴史的には非相互的!?
遡ると非相互的って面白いですね!
 スペイン語のUstedとtuが在ることは一応勉強してましたが、今は相互的に使われていますよね。
 普通に子連れで公園で遊ばせていたら、初対面でもtuで話しかけられましたので、疎外感を抱かせないように、気を使ってくれているのかなぁと、良い方に解釈しておりました(笑)。

2 ■Re:歴史的には非相互的!?
>とまてさん
初対面でtuですか。

「座談会 待遇表現と民族文化」(『敬語講座8 世界の敬語』1974)の中で、W.Aグロータース氏が「フランス語を日本人に教えるとき、tuという活用を教える必要はありません。一生、tuという相手は…。まあ奥さんぐらい。フランス人と結婚するならば…。(笑い)1人だけですよ。そうすると、vousということを教えるべきです。」と発言したのに対して、日本人の研究者から、でも、フランスの子どもにvousで話しかけたら、自分に話しかけられたのではないと思って、うしろを向いてしまったというエピソードを披歴されて、「ごもっとも。友だちの子どもは全部tuです。取り消します。(笑い)」と言っている場面があります。
これを読んで、デフォルトは「敬称」のvousなのだと強く印象づけられていたのですよね。

初対面でtuの心理やいかに。
スペイン語の特質なのか、はたまた時代の変遷か。
興味深いですね。
ご指摘ありがとうございます!

3 ■疑問文でも…??
日本語みたいに、どのレベルの敬語?と考える必要は無くて単純なことは間違いないですが、念のため少し補足させてください。

 二人称代名詞に付随する動詞の活用の問題なんですけれども。スペイン語の場合は、一人称と二人称の場合には主語は省いてしまうことが多いのですね。動詞の語尾で分かるからです。

例えば、英語の、“Understand?”(分かりますか?)にあたるものが、
Entiende? だとusted(あなた)で訊かれていて、
Entiendes? だとtu(君)で訊かれている
ちなみに、自分が理解しているなら、entiendoを使います。

動詞が入っている文だったら、一応全て、区別がつく仕組みです。

4 ■Re:疑問文でも…??
>とまてさん
ありがとうございます!

とまてさんが経験したtuについて、「もしかしてこれかも?」という説明がウィキにありました。

**
Tú と usted の用法はスペインと中南米では違いがあり、スペインでは改まった場面でなければ初対面でも tú を使うことがよくあり、また、部下が上司に対して tú を使うこともよくある。しかし、中南米では、 tú を使うのは親しい人や目下の人に限られる。但し、キューバではスペイン同様 tú をよく使う。
**