前々回のエントリの中でもとりあげたオギュスタン・ベルク氏の所説の紹介を、上記のタイトルで勤め先のブログに書きました。
こちらです。
その文章の最後の段落で次のように述べました。
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では、なぜ、日本人は、日本の文化は、<主体>に対する拘りをあまり持たないのか?
ベルク氏は、日・欧・中の神話に描かれた宇宙の発端の姿の違いにもふれつつ、そのカギは、「与えられたままの現実」、つまり「自然」というものの価値を積極的に認める日本人のあり方にあるとしています。
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「日・欧・中の神話に描かれた宇宙の発端の姿の違い」とは具体的にどういうことなのかについては、字数制限もあって触れられなかったので、補足しておきたいと思います。
それは、欧州や中国の宇宙開闢論においては天地は「創造」されるものとして描かれているのに対して、日本の神話においては天地は「生起」するもの、「なる」ものとして描かれている、ということです。
この論点については、丸山眞男に本格的な論考があります(「歴史意識の『古層』」)。
いずれじっくりとご紹介したいと思っています。