<135> #2

2010-06-16 16:18:29

「恩」をめぐって(その3) α方式のもたらすもの

テーマ:日本人論
(承前)
中根氏は、「もののやりとり」が一対一に限定されるα方式の場合、
「(与え手)Xは(受け手)Yを完全に支配しうる」
とする。

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XとY(あるいはYとZ)は一室にとじこめられているようなもので、そのために両者の貸借関係は、両者にとってあまりにも明瞭で個別的に認識される。このことが両者をいっそうしばりつけることになるのである。YはXに対してつねにひけ目、負い目を感じ、XはYに対してつねに期待し、要求することになる。(158)
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さらに、中根氏は、この一対一に限定された関係(α方式)は「『タテ社会』の構造を形成するうえにも重要な要因となっているものである」とし、次のように述べる。

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日本社会における機能的人間関係の核はつねに一対一の関係である。この累積、連鎖が「タテ社会」を構築しているのである。
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中根氏に言わせれば、日本社会=「タテ社会」、である。

ということは、α方式の「もののやりとり」こそが日本社会を形成する要因になっているというわけである。
そして、その当然の帰結ととして、内閉的相互扶助(つまり、α方式)の履行が人々に対して道徳的に強制され、その履行を賛美する美しい言葉が生まれる、と言うのだ(「義理と人情のこの世界♪」)。

ここに紹介した中根氏の見解は、PTA問題を考えるうえでもとても参考になる鋭い考察のように思われる。



しかし、
「日本社会における機能的人間関係の核はつねに一対一の関係」とは、何を根拠にそのように言えるのか?

また、「タテ社会」とは、そもそもどのような社会のことを言うのか?
なんとなく「上下関係の厳しい社会」という理解が普通のように思うが、インドのカースト制度は、「タテ社会」ではなく、むしろ典型的な「ヨコ社会」とされるのだ。

次に、このあたりの問題につき考えてみたい。





1 ■もののやりとりでブルーになる理由
こんにちは。
まるおさんの進めるお話とは違ってしまうかもしれませんが・・・
先日、スイカを人からいただいてしまってブルーになった件ですが、どうしてなのか?と考えてみると、こちらで書かれているように
「(与え手)Xは(受け手)Yを完全に支配しうる」
という関係になってしまうからかも?と理解しました。

そのスイカ事件(!)の相手は、よく
「人に喜んでもらうのが好きだから、そのために買い物をする」
と話しています。人に配るために買い出しに行くと。けしてβ方式で人にモノを配っているわけではなくて^^;; 相手からのリアクションを期待して「もの」を渡しているのだと思います。

私のほうも、礼を言ったり話し相手になったりするのですが、まさに「もののやりとり」でこちらの行動をコントロールされてしまっている状態なので、ブルーになってしまうのです。

まるおさんの記事を読みながら、「恩を返す」というのは、「ものを返す」ということではなく、相手の期待に応えるということなのか!と思いました。自分の意思に反しても、相手の期待に応えなきゃいけない関係というのはブルーですねー

2 ■Re:もののやりとりでブルーになる理由
>TRKさん
>まるおさんの進めるお話とは違ってしまうかもしれませんが・・・

いえいえ。いずれこの話題に戻ってきたいと思っています。

コメントを読ませていただいて、吉行淳之介がエッセーで、「人におごったりするのは、ほんとうに慎重でなくてはならない。相手に負い目を感じさせてしまうから。」というようなことを、確か言っていたのを思い出しました。

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「恩を返す」というのは、「ものを返す」ということではなく、相手の期待に応えるということ
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なるほどです。
精神的に縛られてしまうのだと。
で、ここから、「恩を施す」というのは、単に「ものを与える」ということではなく、「慈愛を与える・目をかける」ことだと言えるかもしれません。