記事番号258 (コメント1)

2014-11-06 22:16:20

日本世間学会 第32回研究大会で発表します

テーマ:エビデンスとしての日本語
明後日の土曜日に開催される、日本世間学会の第32回研究大会で、

「日本語から探る『私』の姿」

という題目で発表します。

学会に提出した、発表の概要は、以下の通りです。

**********
「~することになりました」、「~と思われます」、「~と考えられます」等の「自発」表現が存在し好まれる。スル表現「お~する」が自己の行為を卑下する謙譲語として用いられ、ナル表現「お~になる」が相手の行為を尊ぶ尊敬語として用いられる。このような日本語に特徴的な事実は、日本の社会においては「主体性」や「自己決定」がネガティブなものとしてあることを示す。

その一方で、日本語では、敬語、人称詞、授受表現、受身表現、「~てくる」等、「私」との関わりを表わす表現が、文の成立において非常に大きな位置を占めている。このことは、日本語の「自己中心性」を示すものとして注目される。

日本語において認められる、「主体性の弱さ」と「自己中心性の強さ」という、この一見、矛盾した性質の背景には、どのような日本人の「私」の姿が認められるのか。
本発表では、丸山真男、木村敏、森有正、西田幾多郎、河合隼雄、プラトン等における「私」のあり方をめぐる所説に学びつつ、考えてみたい。
**********

このようなテーマで考えてみようと思ったきっかけは、一昨年の秋開催の第28回日本世間学会の研究発表大会(加藤薫(2012)「世間と日本語に通底するもの -主体性と第三者的視点の欠如-」)にて、日本語に見て取れる「非主体的側面」と「自己中心性」に言及したところ、「言っていることが矛盾していないか? いったい、日本人には『私』があると言っているのか? ないと言っているのか?」という批判を受けたことです。
この批判にこたえつつ、日本における「私」のあり方について理解を深められればと思います。
このことは、PTA問題の解決にも資するものと考えています。


前エントリで宿題とした、「世間」のあり方とPTA問題との関連性については、「継続審議」としたいと思います…。


なお、一昨年の発表内容と質疑応答の様子は、過去のブログ記事で取り上げています。

・日本世間学会 第28回研究大会で発表して(1) 発表篇
2012-11-18


・日本世間学会 第28回研究大会で発表して(2) 質疑応答篇
2012-12-04






<257> #0

2014-08-11 01:06:22
テーマ:エビデンスとしての日本語
「世間論と日本語 ―世間論に符合する日本語の文法的特徴―」が日本世間学会の学会誌『世間の学』VOL.3に掲載されました。

書影と論文集全体の目次(収録論文のタイトル)は、こちらです。

ちなみに、PTAについての拙論文(「日本型PTAに認められる問題点-ないがしろにされる『主体性』」)が掲載されている『世間の学』VOL.2については、こちら

以前、拙ブログ記事で『世間の学』VOL.2に掲載されたPTA論文の紹介をしましたが、まとめとして、
********************
PTA問題とは、けっして例外的かつ表層的な底の浅い問題ではなく、我々の「存在のあり方」と深く関わる問題だと思うのです。
*********************
と述べました。
http://ameblo.jp/maruo-jp/entry-11194438034.html

今回の論文では、その我々の「存在のあり方」について、日本語の文法的特徴から迫ったつもりです。


目次は以下の通りです。

*****
はじめに

1.「長幼の序」…敬語・人称詞のあり方
1.1 敬語体系の存在と中立的文体の欠如
1.2 「敬語行動」をめぐる日米比較 - 浮かび上がる「長幼の序」
1.3 「敬語行動」をめぐる日韓比較 - 浮かび上がる「相手」と「集団」の重さ

2.「贈与・互酬の関係」…授受に関わる表現

3.「共通の時間意識」…「よろしくお願いします」他・終助詞
3.1 「共通の時間意識」とは
3.2 「絆」の存在を示すその他の表現
3.3 終助詞「ね」の必須性

4.「自己決定の不在」…「自発表現」
4.1 「自発表現」- 「場所」としての「私」
4.2 「~ことになる」- 「主体性」を秘す「私」
4.3 尊敬語と謙譲語の成り立ち - 「自然発生」を尊び、「行為」を卑しむ心根

5.「空気の支配・所与性」…「S」が析出されない構文的傾向
5.1 「空気の支配」と「世間の所与性」とは
5.2 日本語における自動詞構文への好み - 非分析的傾向

6.「差別性・排他性」…自己中心性と二人称志向性
6.1 「自己中心性」と「差別性・排他性」- 差別性の背景
6.2 「二人称」への過剰な配慮と「三人称」への冷淡な扱い

まとめに代えて - 日本語の整理を通して見えてくるもの
*****


日本語論の観点から世間論の主張を裏付けていくという論の進め方になっていますが、私的には、世間論に導かれつつ、長年日本語について抱いてきた“もやもや”をかなりの程度整理できました。
整理や考察が足りないところも多々あることは自覚していますが、自らの問題意識をとにもかくにも“一か所にまとめられた”ように思います。今後は、ここを起点に前に進んでいければと思っています。

なお、この論文は、2012年の11月に開催された日本世間学会 第28回研究大会で、「世間学における指摘と日本語のありかた ~主体性と第三者的視点の欠如をめぐって~」と題して発表したものを、自分なりに発展させたものです。
発表時に配布したハンドアウトは、以下の拙エントリに貼ってあります。
・日本世間学会 第28回研究大会で発表して(1) 発表篇

そのエントリにいただいたコメント(「世間論の論点をもっと分かりやすく示すべきでは」)等も参考にさせていただき、日本語の考察もより進めたつもりです。

次のエントリでは、「世間」のあり方とPTA問題との関連性について述べてみたいと思います。



<256> #63

2014-08-02 21:26:35

熊本PTA裁判に関連して『AERA』(2014.08.04号)にコメント  -学校・教委の責任-

テーマ:PTA問題の実際的解決をめざして
7月28日発売の『AERA』に「PTA問題第5弾 会費の不明朗な使い道」と題する記事が掲載されました。

その号の広告です

前エントリで触れた熊本PTA裁判でも会費の扱いが問題にされていることから、今回の『AERA』の記事でもこの裁判に言及しています。

7月の上旬、アエラ記者の三宮千賀子さんの取材を受けました。
まず、今回の裁判の意義について問われました。
「PTAが任意加入の団体であることは、ここ数年、いろいろな方の努力によりかなり周知されてきたが、PTAの問題が司法の場で取り上げられることによって、周知の流れが決定的なものになるはずだ」とお答えしました。

そして、そのことに関連して記者の三宮さんから「“強制加入ではない”ことが皆の知るところになり、意思の確認がきちんと取られるようになれば、それでPTA問題は解決するのだろうか? 『同調圧力』の存在は無視できないのではないか。」といったことを尋ねられました。
それについての拙回答が、記事の中で以下のように紹介されました。

**********
 ただ、保護者に実質的な意思確認をして任意加入を徹底しても「先生や周囲の親から変な目で見られるから、任意でも結局は入るしかない」(奈良市の44歳の専業主婦)というのが、大部分の保護者の本音だろう。そうした状況の一因について、加藤教授はこう訴える。
「保護者にとって、学校の意向は絶対だと感じるもの。校長をはじめとする学校側がPTAを“便利な存在”として黙認して利用し続けていることも、PTAを強制的な加入にしてしまっている原因ではないでしょうか。」
**********

「同調圧力」の原因にはいくつもの側面があるとは思いますが、教委や学校の責任は大変重いと思っています。
これまで、教委や学校は「親ならPTAに入って当然」とのスタンスを取り続けてきました。
この学校・教委のスタンスが改められることなしには、PTA問題が解決することは難しいと思われます。


PTA問題における学校・教委の責任については、以前に以下の拙エントリで論じました。
・憲法の視点からのPTA改革 木村草太氏の朝日新聞投稿記事を読んで(その2)

そのエントリ中の
「3.教委の言い分(その2) 『親なら参加してしかるべし』」
と、
「4.PTA問題の核心にあるもの ― 法に基づかない規範意識、及び学校の『しくみ』が保護者の選択の自由を奪う」
をご参照いただければ幸いです。

なお、PTA第一弾の「横暴すぎるPTA役員選び 切迫早産なのに免除されない」(2014.03.03号)でも拙コメントが紹介されています。それについてのエントリは、こちら


(共感した他の方のコメント)
今回の『AERA』の記事の結末部分は、「一度リセットしては」という見出しが立てられ、昨年PTA会長を務めた専業主婦の方の以下のコメントで結ばれています。
**********
「任意加入が徹底され、会員も会費も集まらず、PTAが成り立たなくなってしまったら、悲しい。でもやりたくない人を無理やり引き入れる弊害のほうが大きいと悟って、一度リセットしてみるという発想も必要な時代なのかも。誰かがやらねばと思う半面、理不尽なことも多々ありましたから。
**********

ちなみに、『AERA』のPTA記事の第2弾、「必要? 不要? PTA」(2014.04.07号)の末尾は、PTA組織の必要性を問う、杉並区の公務員女性の次のことばて結ばれています。
**********
「PTAでなくても保護者会などで学校と保護者はつなぐことはできる。PTA行事には本来、学校がやるべきものも含まれており、無理やり仕事を作っているように感じます。無報酬で強制的に運営しないと義務教育は成り立たないのか。『そもそも論』を問いたいです」
**********

これも、非常に鋭いところを突いていると思います。
学校・教委、そして文科省には、義務教育の運営主体として、この真摯な問いに答える説明責任があるはずです。




<255> #0

2014-07-24 22:47:24

熊本PTA裁判について「小平の風」に書きました

テーマ:PTA問題の実際的解決をめざして
今回の裁判は起こるべくして起こったと思っています。PTA問題における、裁判に至るまでの経緯と今回の裁判の意義を、自分との関わりも含めてまとめてみました。

こちらです。



<254> #1

2014-05-23 22:02:27

小平の風に投稿しました。

テーマ:エビデンスとしての日本語
日本語に関する記事を二本、勤め先の学科のブログ「小平の風」に投稿しましたので、遅ればせながら、紹介させていただきます。

一本は、「いまどきの日本語  ― 「ら抜き」と「さ入れ」 ―」で、何かと批判されることの多い「いまどきの日本語」を、日本語の歴史を振り返ることで「擁護」してみました。
※その論旨は、金田一春彦氏などがすでに述べていることで、私のオリジナルではありません。

もう一本は、「『敬語行動』をめぐる日韓比較 …浮かび上がる『相手(二人称)』と『集団』の重さ」です。
この記事は、近刊予定の『世間の学 VOL.3』(日本世間学会編)に掲載される、拙論文「世間論と日本語 ―世間論に符合する日本語の文法的特徴―」の一部を利用してまとめました。
論文が刊行されましたら、またこのブログで紹介したいと思っています。


<「小平の風」の過去記事>
・神戸・京都・奈良研修 ~伝統文化と欧米の文化~

・This is a pen. を日本語にできるか?

・「好きです」に面くらったフランス人の日本文化論 ―主体=「創造主」不在の文化―

・日本語とPTA ―「主体性と公共性」の希薄さをめぐって―

・日本世間学会

・「ネット」の力 ― 仙台市教育課題研究発表会に参加して

・世間学と日本語

・二つの『私』 ― 日本人に『私』はあるのか? ないのか?




<253> #16

2014-04-03 21:58:58

ラジオ出演で語ったこと(補足と感想篇)

テーマ:PTA問題の実際的解決をめざして
「ラジオ出演で語ったこと(打ち合わせ篇)」で触れておくべきことだったかもしれませんが、ディレクターさんとの事前の打ち合わせが一通り終わったところで、本名さんがPTA活動に熱心に取り組んでおられるという話があり、私の方から、本名さんのお立場からの率直なお考えも聞かせていただければと思うと申し上げていたのでした。
そんなこともあり、本名さんから「やってみたらよかったという声をよく聞くが…」という発言があったのかもしれません。

とは言え、PTA活動におけるこのような「食わず嫌い論」には、私は賛成できません。番組中にも述べましたが、ことPTAの場合、「公」の場所で語られることと本心は必ずしも一致しないと思います。委員・役員の深刻ななり手不足がそれを「証明」しているのではないでしょうか。
「やってみたらよかった」が本当ならば、次もやってみようと思うはずです。しかしながら、実際は、ほとんどの人がやりたがりません。
無理やり食べさせてみたものの、その後口をつけようとしないなら、いくら「食べてみたらおいしかったです!」と言ったところで、それは本心ではないと考えるべきだと思います。

10分という限られた放送時間ではこの辺りのことを十分に話せませんでした。また、PTAの会長も経験し、おやじの会の活動もしている本名さんに、従来のPTAを保護者懇談会とおやじの会的サークルに分離再編成することは可能か、ぶっちゃけて聞いてみたいとも思いました。
そのようなわけで、放送後の3/21(金)に、本名さんと個人的に意見交換・情報交換をさせていただきました。

お話をうかがって分かったのは、本名さんが本部役員や会長をされた学校は、国立大学の付属小学校だったということです。
それなら、負担感は公立一般と比べてずっと軽く、「やってみたら楽しかった」も本当の話なのかなと思いました。

そして、ご自身の関わったPTAについても、かなり細かいところまで話してくださいました。
本名さんが六年間本部役員をやって、五年生の時に会長をやったという話が本番でありましたが、それは、保護者が負担感なくPTA活動をするために、「できるひとはやろうよ」ということで、本名さんやその先輩方が考案したスタイルだとのことでした。
本名さんは地元の私立の小学校、中学校の出身だそうですが、その国立の付属の保護者にはその私立の出身者がけっこういて、その人脈がPTAを盛り立てている面があるように思うとのことでした。本名さんの前任会長は、本名さんの小学校の同級生だそうです。
私立や国立附属の中でも、特に恵まれたPTAであるように思いました。

本名さんがPTA活動に熱心に取り組んだのは、同窓生からすすめられたことに加え、上のお子さんの時は関わらなかったので、今度はやってみようと思ったこともあったそうです。
そんな本名さんは、保護者としての活動に目覚め、現在は、上のお子さんの大学(東京)の地元の保護者会活動にも取り組まれていて、来期は支部長を務める予定とか。


最後に、従来のPTAは、保護者懇談会とおやじの会的サークルに分離再編成するべきではとの私案に対する率直なご意見をうかがってみましたところ、ご賛同をいただけました。
本名さんの関わられたPTAは国立のPTAなので、公立のPTAの会長さんの見方とは違う可能性は十分にありますが、PTAとおやじの会に深く関わってこられた本名さんにご賛同いただけたことは心強く感じました。

今後は、公立学校のPTAの会長さんや本部役員経験者の方たちのご意見も聞いてみたいと思います。




<252> #1

2014-03-27 18:50:10

ラジオ出演で語ったこと(本番篇)

テーマ:PTA問題の実際的解決をめざして
本番でのやりとりを、以下に紹介します。
(できるだけ会話を忠実に再現するようにしましたが、あいづち等を省くなどの表現の調整はしています。)

************************************************************
本名正憲氏(以下、本名) 卒業シーズンになりましてね、今日は親御さんのお話しなんですけども、学校を卒業して、例えば、小学校が終わって今度中学校。小学校でPTAの役員をなさった方など、ほっとした部分があるんじゃないかと思います。また、でも新しい学校に行くとそこにまたPTAなどの組織があって、何かいろいろやる、引き受けるということになるんじゃないかなと思います。
子どもを持つ親御さんは、学校のPTAの役員をやったり、行事に出席したり一度は活動に関わったことがあると思いますが、それぞれ思いがあるんじゃないかと思います。この時間は、PTAのあり方を研究している文化学園大学現代文化学部教授の加藤薫さんにお話しをうかがいます。
加藤さん、おはようございます。よろしくお願いします。

加藤 おはようございます。よろしくお願いします。

本名 負担の声はよく聞きますよね。むしろ、そうじゃない人の方が少ないんじゃないかと思いますけど、これ、どういうことが背景にあるんでしょう。

加藤 負担を感じている方は本当に多いと思うんですけど、少子化、子どもの数が以前に比べて半分くらいに減っているということがありますね。子どもの数が減れば当然親の数も減るわけで、それでいて、PTAの仕事というのは以前と較べて減っていないか、むしろ増えているところがありますので、負担が増えて当然と言えます。また、親の数が減っているだけじゃなくて、働きに出ているお母さんの数が以前に比べて非常に増えているということがあるので、単純に役員のなり手の数がすごく減っていると。ですから、一人一人の負担が増えてしまっているということになると思います。

本名 そうですか。もちろんお母さんが働いているケースはあるんですけど、やはり、少子化というのは大きいわけですよね。

加藤 そうですね。もう半分くらいに減っているという、そして学校の数はそれほど減っていませんよね。

本名 そうですね。

加藤 ということは、一人の人がいろいろなことをやらなくてはいけなくなっていると。

本名 学校の生徒さんの数が減っても減ったなりに、今度はきめ細かくいろいろなことをやるということになってくるので、仕事が増えたりしますよね。

加藤 はい。地域との連携をやっていきましょうとか、防犯活動をやりましょうとか、今、いろいろなことをPTAはやっていますからね。

本名 そうですね。
加藤先生ご自身もPTAの役員をやったことがあるそうですね。

加藤 もう10年くらい前の話ですけども、2年間、けっこうみっちりと、地域環境改善委員なんていうのをやっておりました。

本名 それ、引き受けてみて、どうでした?

加藤 他に引き受ける人がいなくて、事情のある人に押し付けられそうになったので、「それでは私が」ということで手を挙げたんですが、まあ、それなりに意義は感じましたけれども、なくても困るものではないなと思いました。そして、一緒に仕事をしているお母さんが追い詰められて、体調を崩して入院するなんて人が出たりしてですね、
本名 ええっ!)
これはもうとんでもない世界だなと思ったことが、(日本文化論の一側面としてPTAを)研究するきっかけになっております。

本名 ああ、そうですか。
その研究のお話しで言いますと、もちろんうまく行っている例というのもあるわけですよね?

加藤 ほとんどのPTAでは基本的には押し付けですね。入会を意志の確認をしないでさせてしまう。会員にしてしまう。で、仕事もクラスから5人出せという形で、誰も手を挙げないときにはくじ引きで押し付けると。

本名 よく聞きますね。

加藤 どうしてもできないんだったら、診断書を出せという学校もありますね。
(いっぽう)ごく少数ですが、最近ですね、自由参加ということを原則にして、入会は強制しません、活動も強制しません、で、入らなくてもお子さんに不利益はないですよということをきちんとアナウンスをして、正々堂々と活動をするPTAがほんのわずかですけど出てきています。
広島の近く、岡山の市立西小学校のPTAが全国に先駆けてと言っていいと思うのですが、自由参加ということを打ち出して、やられています。

本名 あのう、自由参加だとちゃんと人が集まるのかな?という不安があると思うのですが。どうなんでしょう?

加藤 そこは確かに不安は不安で、だから改革に踏み切れないPTAが多いと思うのです。けれども、他に札幌でもやっているところがありますが、ふたを開けてみたら9割以上の方が参加している。95%とかですね。
その代わり、従来あった活動を減らしたりとか、手を挙げてくれる人の数に応じて活動を調整したりといった工夫はされておりますけれどもね。

本名 ああ、そうですか。
じゃあ、うまく行っているというケースの一つですね。

加藤 まあ全国的に片手くらいかなと、私なんかが把握しているのは。それくらいまだ本当に数が少ないんですけどね。

本名 私も下の娘がこの間小学校を卒業しましてですね。六年間ずっとPTAの役員をやりました。で、娘の五年時にはPTAの会長もやったんですね。
ただですね、これ、たいへんだと思いましたけれど正直、ただ、みなさんにできることはできるし、できないことはできないんで、仕事などもありますから。で、皆さんで助け合ってという形で、まあうまい具合に回してもらったといいますかね。私自身がどうこうというよりも。それはもちろん先生方のすごい協力もありましたし。そんな感じだったですね。
もちろん、その、お母さま方は大変な負担を感じられて、選ぶのはもう大変紛糾するというのはもうどこの学校とも同じような状況ではあるみたいです。ただ、実際されてみると、終わった後「やってよかったです」というふうに、この間も総会、あの役員会がありまして、そうやっておっしゃってくださるお母さま方が多いので、ちょっと救われた気がするんですね。これ、毎年のことなんです。

加藤 なるほど…。ただ、そういうふうに表にですね、そういう総会だとか、会長さんや校長先生の前でお母さま方が口にすることと、実際内々で抱えていて、母親同士の仲間で出てくる声というのは違う面があってですね。やってよかったという人もいれば、やってほんとうに傷ついた、意義が感じられなかったという人も同時にいるわけで…。
その両方を見ていく必要があるかなと。そして、嫌だという人がいるんだったら、その人は基本的には参加しなくてもいいようにするのが(あるべき姿だと考えます)。
PTAというのは法的に参加が義務付けられているわけではないので、ボーイスカウトとか婦人会と同じ位置づけですから、そこはそれぞれの選択を重視すべきかなと思います。

じゃあ、学校との関わりは何にもしなくてもいいのかと言えば、そんなことはなくて、ボランティアの協力の要請があればできる人は参加するとか、あるいは、基本は、担任の先生と保護者が学期の節目に、保護者懇談会とか学級懇談会とか呼ばれる集まりがありますね。その集まりにきちんと出席をして、担任の先生や保護者仲間としっかり情報交換、意見交換をしていく。ここのところをしっかりやっていくのが基本で、で、応用として、やる気のある人がいろんなイベントを実行したりするのがいいんじゃないかなと思っているんですけどね。

本名 なるほど。そうすると、従来の形のPTAの、いわゆる役割的なものはもう変わってきているし、ひょっとしたらその役割というものも終わったかもしれないというところがあるわけですね?

加藤 私はそう思っていますね。従来のPTAは、むしろ、おやじの会と呼ばれるものがありますね。
あれに、おふくろさんにも入ってもらってやればいいのではないか。ほんとに、おやじの会を見ていると楽しそうで、何かそれで傷ついたり、体を壊したりしている人はいませんね。
あれに、おふくろさんに入ってもらってどんどんやりたいことをやってもらって、一方で、(基本的な)学校とのコミュニケーションは保護者懇談会で、学級懇談会でしっかりしていくというのがいいんじゃないかなと。

本名 なるほど。ひとつやっぱり、おやじさんたちがですね、ここでやっぱり出番ですね。
実は私も上の娘のおやじの会にも入っていましたし、下の娘の小学校もおやじさんたちがよく飲む学校でね、そういう意味で確かにすごくコミュニケーションをうまくはかれたんじゃないかなという気はいたします。

加藤 そうですか。本名さんのお立場、すごくおもしろいと思うのですけれども、PTAをおやじの会的なものに切り替えていくというのは一つの可能性としてありますですかね?

本名 そこでそういう志向性を持ったリーダーがいたものですから…。

加藤 本名さん自身も(すでに)そういうふうにされていたのかもしれないですね。

本名 そうかもしれません。そういう流れを作る人がいて、そこからちょっと変わってきたところが、どうもPTAの歴史から見るとあるみたいですね。

加藤 おやじの会って、手を挙げた人がいるのに応じていろいろな活動を組んで、(つまり)まず個人のやる気が先にあってそれから仕事が考え出されると思うんですけども、PTAってどうも一般的に言えば、最初に仕事があって、個人をそこに巻き込んでいくというふうになっているので、その方向性を変えられればなと思っています。
そのモデルになるのがおやじの会かなと思っているのですけどね。

本名 そうですか。今日はぜひみなさんも参考にしていただきたいなというお話しでした。どうもありがとうございました。

加藤 ありがとうございました。

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補足と感想については、次のエントリで取り上げる予定です。