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2010-04-11 13:54:37

中間集団全体主義からの主張

テーマ:メモ帳
本日、二投目。
現某市教育委員にして、PTA会長歴多年にして、現PTA顧問でもある、つまり日本のPTA体制のど真ん中で活躍しておられる人物(oyajiさん)の発言から。

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役割とボランティア・・・・
私の言う役割は、輪番制的に回ってくる学年役員・・・
ボランティアは、まさにボランティア・・スポット的な関わりが中心でいざって時に
(もちろん読み聞かせやミシンボランティアの様に定期的に通年関わっている方も)
PTA=ボランティアという図式は、理想ですが・・・
現実、私はこの図式は成立していないのかなって思います。


これを正々堂々??謳うのであれば、関わりたくない人、やりたくない人がいれば
それはそれで自由であり・・・
PTA事業の朝の旗振り活動だって・・・
ボランティア(自発的意思)なら!?・・・するしないもまさに自由なのかなって
朝の旗振り活動?事業は、みんな(本当の意味のみんな)で行うからこそ意味もある!?

まるお注:「まさに自由」だと思うのですが。違うのですか?
それにしても、ここの「!?」マークってなんなのだろう?
oyajiさんには「・・・」だけではなく、「!?」マークについても振り返っていただければと思います。


お母さんがやるPTA活動から・・・
旗振り活動は最近お父さんが目立ってきています。家庭で関わる活動!?
時には、お姉さんが・・・まさに家族で(笑)(祖父母ってケースもある)
それが名前こそPTA活動だけどいろいろな人の関わりで地域活動的に・・って
こういう活動こそ、きっかけは輪番制的な部分でも(みんなが経験値を持つ!!)

その後・・・
ボランティアとして安全パトロールでもよし、いろいろな団体で関わるもよし
個人で何かできる事をって事でもよし!なのかなって思います。
きっかけはきっかけとして・・・
ただし、そこで必要なのは互助の精神・・・・
役割だからと言って強制や押しつけはNGなのかなって思います。
助け合いの出来る部分は、それこそみんなで!!

まずは、家庭で・・・家族で・・・そして地域でって
その助け合いの輪も広がっていけばいいのかなって思います。
(<100410 PTA役員の手引き(実例です。) マニュアルは生かすもの!?>)
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「『地域の助け合いの輪』の原点として、PTAへの自動参加は認められるべきだ」というロジックのようだ。
そういう思想信条を持つのは自由だが、それを「現実化」したいなら、法制化を目指すべきだろう。
日本は法治国家なのだから!
そのプロセスをすっ飛ばして個人の自由を制限して平気であるところに私はどうにも受け入れられないものを感じるのだ。

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PTA=ボランティアという図式は、理想ですが・・・
現実、私はこの図式は成立していないのかなって思います。

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「現実、私はこの図式は成立していないのかなって思います。」って。
そんな「他人事」では困るのですが。

「現実」を創る側であることの自覚を持ってほしいなと思うのであります。